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太陽と月
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月はよく写真に撮るが、太陽は滅多に撮らない。
何でだろう・・ぼくは月の方が好きなのか?
少し考えてから、太陽が中々撮れないだけだと気づいた。
朝日や夕陽なら何度も撮っている。

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雲がいい塩梅で太陽光を弱め、しかも隠し切りもせずに丸い輪郭は見えた。

「撮れば?」

雲がそう言ってるような気がする。

もちろん、素直に従った。

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何度でも言うが、こうして雲が太陽光をスポットのようにしてる様が好きだ。
この日の夜明け前は、満月の明かりもスポット状になっていた。
淡い光が海上を揺らめく様は、まさに幽玄であり感動した。
それでツイッターにupしたりアメブロに載せたり。
でも、思ったほどの反響が無い。
面白いことに反応してくれたのは男性ばかりだった。
ま、月を愛するのは男性のほうがお似合いかも知れないね・・。

ついでに、ここにも貼っておこうかな。

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20:09 - comments(0)
チューした!
住んでいる街で朝市があって、奥さんと行ってみた。
こういうのが奥さんは大好きだ。

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野菜や魚、海草やパンなど食材を買い込み、
それから焼きソバや肉まん、お好み焼きに汁粉にお赤飯にサータアンダギーにおにぎりに・・
どれもこれも食べたくなる。
青空市場の出店は何故これほど美味しそうなのだろう。
それに、こういうとき「有機」「無添加」「無農薬」「全粒粉」「黒糖」「雑穀」などの言葉を
よく見掛けるのは何故だろうか。
食材が地元の採れたての野菜や魚なので、それと相性が良いということだろうか。

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何にせよ、あれこれ買い過ぎたので、公園へ行って少し減らすことにした。爆

広い芝生の前のベンチに座った。
お好み焼きやら焼きソバやら食べていると、おじさんたちが数人で紙ヒコーキを飛ばしている。
ゴムのプロペラの装備されたタイプだ。
かなり見事に飛んでいた。
おじさんが軽く押し出すように空中へ飛行機を放ると、ふわあっと空高く昇って行く。
それであまり飛び回らずに、どちらかというと空中で静止しているような佇まいで
風に乗って浮かんでいる。
プロペラの回転が止まると、ゆっくり下降を始めるのだが
少し落ちるとまた浮かび上がり、それからまた少し落ちると浮かび上がる。
そんな感じで、かなり時間を滞空していた。
見事だ。
優雅だし、静かだし、軽やかだった。
そっと着地したときに、思わず拍手した。
おじさんがチラリとこちらを見る。
それから直ぐに紙ヒコーキを拾い上げ、仲間のところへ戻って行く。

これは良い遊びだ。
なんで、おじさんばっかりなんだろう。

そんなことを思ってたら奥さんが「大越くんもやってみたい?」と訊いてきた。

「うん、いや、はあ」

曖昧に返事する。
ああいうことをやりたい。「ああいうこと」とは、あれそのものじゃなくていい。

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ここの芝生はかなり広い。
左手では、子供たちがサッカーを習っていた。

「サッカーばかりだ。さっき通った小学校でもサッカーしてたでしょ。オレが子供の頃は野球ばかりだったのに」

「はっはっは。野球ざまぁ。盟主の座も終わりね」

「なんでそんなことを言う!結局、野球は王長嶋がいたから栄えたのかな・・」

「ま、今は空き地も無いしね。あ、うちの前のグラウンドでは野球やってるじゃん」

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違うんだ・・
野球だろうがサッカーだろうが、大人が教えてたり親が見てたりってのは違うんだよ。
野球をやりながら、他に色々と悪いこともするんだよ。
近所の家にイタズラしたり、隣町の子供と争ったり、カップルを尾行したりするんだ。
落ちてるエロ本をみんなで見たり、警官をからかったり、車のガラスに落書きしたりするんだよ。
それで見つかって、全力で逃げるんだよ。

親が見てたら、そんなこと出来やしないじゃないか!!

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それから小学校高学年くらいの女子が大勢自転車でやって来て、隣りのベンチにタムロした。
直ぐに自転車を置いたまま、彼女たちは居なくなった。
一人だけ、メガネした大人しそうな子だけ残して・・
しばらくするとその子もいなくなり、自転車と荷物だけ残された。

公園から海辺の方へ歩いていると、先程のメガネの子がフラフラと歩いていた。
それからしばらくして、残りの女子たちがゾロゾロと歩いて来る。6人くらいいた。

「何か、いまの女子たち「ワルイ」感じしたんだけど」

「うん、ワルイワルイ」

「メガネの子は仲間外れかな。アンタ自転車見てて、なんて言われて」

「そうかもね」

「誰かを呼び出して、オメー生意気なんだよ!!とか取り囲んだんじゃない?」

「どうかねぇ」

女子は先に成長する。
男子は永遠に追いつけない。
ああいう女子の悪さはどうなんだろう。

「あたし、この辺の子供たちとはやりにくいと思うんだぁ。妙にマセててさ」

なるほど。

「ま、荒れてる学校も嫌だけどね。だから今のI中学がいいんだけどな・・。みんなホントに可愛い」

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海の手前が林になっている。
そこら辺に、中学生らしき男子と女子が並んで歩いていた。
どちらも大人しそうな、純情そうな子に見えた。

・・と思ったら、木の陰でチューし出した。

奥さんは、思い切りぼくの背中を叩いた。



15:15 - comments(0)
川端康成の思い出
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作家、それも巨匠といえる人にはあまりに自殺者が多い。
先日、奥さんともその話をして、特に川端康成の自殺は信じられないということで
意見が一致した。

川端康成は、ぼくが子供の頃にノーベル賞を受賞した。
当時の日本にとって、それは大変なことだったらしい。
大騒ぎになり、小学生でもみな「川端康成」の名は知ることとなった。
テレビCMにも出ていた。
川端が自宅の庭かどこかにいて、詩人か誰かが彼について語るナレーションが流れた。
老人であったが。きりっとした顔に涼しげな眼もとでカッコいい感じがあった。

次に作家が騒ぎになったのは、三島由紀夫の自決だ。
これも小学生の間でも話題になった。
大ニュースだった。
センセーショナルな事件だった。
それで「三島由紀夫」の名も知った。
はじめは青島幸男とよく間違えたが。
高名な文学者が軍国主義的な考えを持っていると聴いて驚いた。
立派な人は、みな反戦だと思っていたのだ。
当時はそんな世の空気だった。

その数年後、川端康成は自殺した。
あらかじめ名前や顔を知っていた人物の自殺というのは、これが初めてだった。
意外だった。
あんなに有名で世界的に評価されている人が何故・・と思った。

調べてみると自殺ではなく事故だという説もあるらしい。

小学校も高学年になると、甘酸っぱい小説など読み始めたりしたが
その中に三島由紀夫の「潮騒」と川端康成の「伊豆の踊子」もあった。

本格的に二人を読み出したのは、もう少し後のことだ。
三島由紀夫にかなり心酔した。

川端康成は良さがよく分からなかった。
するっと読めてしまう。
ストーリーも淡々としていて平凡に感じた。
描かれている女性の魅力もピンと来ない。

それから何十年という月日が過ぎ、
いま川端を読んだら良さが分かるのではないかと感じている。
じゃ、読んでみようかと文庫本を探せば一冊もない。
奥さんに訊いても、一冊もないという。
彼女は川端の大ファンなのだ。

彼女の知人で着物の似合いそうな和風美人がいて、ぼくが「駒子」とあだ名をつけたら
奥さんは烈火のごとく怒った。
川端康成の大ファンである自分を差し置いて、他の女性に「駒子」と名付けることは断じてならぬと言う。
(駒子とは代表作「雪国」の主人公の名)

そう言えば「雪国」の有名な出だし「トンネルを抜けると雪国だった」というフレーズも
子供の頃から知っていた。
恐らくマンガなどでギャグとしてよく使われていたと思う。
なんでこのフレーズが有名なのかは分からなかった。
(普通じゃん)と思った。
ぼくの分からないあれやこれやが、文学には沢山あるのだろう。
そう思うことで、小説を読むことに楽しさを感じた。

なんで自殺したのだろう?

分からないけれども、巨匠は巨匠で自己の持てる力をギリギリまで出そうとするだろうから、
本人にとって執筆はやはり大変な作業だったかも知れない。
川端康成に「通俗的な安っぽい作品でいいから、ちゃちゃっと書いて下さい」なんて言ったって
出来ない相談だろうから。

自己を表現するというのは、職人の仕事とは別のものだろう。
それは常に「ギリギリ」を歩むものなんだろうと思う。
現実と非現実の境い目で、際どい歩みをするものなんだろうと思う。



16:05 - comments(0)
焦っている。
いよいよ、ホントにいよいよ、もう「ひとみずむ」を書き上げて提出しないとマズイ!ってな状況で
かなりの覚悟を持って帰宅しPCに向かった。
奥さんは研修とかでいつもより遅く、6時過ぎに帰宅。
それで「外でご飯食べよう」と。

さっさと食べてさっさと帰宅しよう。

「どこ行こうか」

「お酒は飲みたくないんだ、やりたいことがあるから」

「やりたいことってなに」

決まってるだろう。前から何度も言ってるじゃないか。
なんで分からないんだ。

「執筆」

「え、なに。聴こえない」

「しっぴ・つ!!」

「ああそう」

ううーイライラするぅ

自宅から一番近い店へ行った。
店へ入ろうとするぼくらの、前を歩いていた外人家族もその店へ入っていく。
この店は美味しいのだが、作るのが遅いのだ。
あのファミリーの後じゃ、待たされる。

苛々

席へ座ると、奥さんが今日あったことなど話し始める。
頭に入って来ない。
「黙ってて」と言いそうになったが、流石にそれは怒らせそうで言えなかった。

今のうちにトイレ行っとくか。
それでトイレへ行くと使用中・・
いったい、いつの間に誰か入ったんだ。ちっとも気付かなかったぞ。

先に入店した外人家族のオーダーに聞き耳立てて、それと同じものを頼んだ。
うまくすれば、一緒に作ってくれるのではないか。

それでやってきた料理は、バーニャカウダ。
オリーブオイルたっぷりの熱したソースに野菜をつけていただく。

「熱いので気をつけてくださいね」

ソースは小さなロウで熱したままだ。
油は熱すると痛いくらい熱くなるのだ。

あちっ

言わんこっちゃ無い。
慌ててキャベツを口に入れたぼくは、思い切り舌をヤケドした。
ヒリヒリする・・

もうこの頃には、奥さんもぼくがイライラ焦っているのに気づいている。
まあほっとくか、という感じだった。

焦っているのと舌をヤケドしているのとで、味が分からない。

食べ終わって直ぐに「出よう」と言ったら、奥さんは少し寂しそうな表情をした。

「舌を冷やしたいから、隣りのケーキ屋でアイス買う」

「わーい、お茶しようお茶しよう。コーヒー飲みたかったんだ」

「え、お茶しないよ。歩きながら食べる。早く帰りたいんだよ」

「そう・・」

奥さんは残念そうだった。
結局、奥さんは何も買わなかった。

アイスを食べながら帰り、マンションの入口まで来たら
奥さんは突然立ち止まった。

空の一番高いところに月がいて、薄い透き通った雲が月に重なって光っている。
(月は、こうやって雲を透かして見えている時がいちばん好きかも)と思った。

「じゃね。あたし、コンビニ行ってくる」

「え?あ、そう」

「だいじょうぶ、書けるよ」

「あ、そう」

いつも階段を使うようにしているのだが、今日はそんな気分になれない。
エレベーターに乗った。
若いママさんが一緒に乗ってきた。

「こんばんは」
「こんばんは」

手にチョコアイスを持って帰宅する男。
結構イケテルのではないかと、そう彼女には見えているのではないかなどと考えた。

帰宅してすぐパソコンを開く。
頭に何も言葉が浮かばない。
今まで書いたものを読み返しても、全然いいと思えない。

これ、他人が読んで面白いのか?
そもそも、ぼくは何を書きたいのだ?

何も分からなくなって机に突っ伏した。

それから着替えたり、トイレへ行ったりしているうちに奥さんが帰宅。

「どう、書けた?」

「まだこれからだよ」

ちょっと頭の中を整理しよう。
何を書きたいのか考えよう。

布団を敷いて、そこに寝転がった。
その方が何か浮かぶ気がしたのだ。
奥さんが乱入して来ないようにドアを閉めた。
・・と殆んど同時に、奥さんがドア越しに声を掛けてきた。

「図書館とビデオ屋行ってくる」

「今から?今日返さないといけないの?」

「まあね」

10時を回っている。バイクでは寒いだろうし、図書館とビデオ屋は逆の方角にあり
結構な距離になる。
車で行ってやったらいいと感じたが・・黙っていた。

奥さんが出掛けていく音がする。
玄関のドアが静かに閉められた。

それから、布団の中で奥さんが事故る場面ばかり頭に浮かんだ。
消しても消しても浮かんで来る。
外を猛スピードで走る車の音が聴こえる度に不安になった。

早く帰って来ないかな・・
もうどちらかには着いたかな。
ああ、車で行けば良かった。

そんなことばかり考えてるうちに眠ってしまった。

目が覚めるともう朝だった。
最近、睡眠時間が非常に長い。

布団の横のランプもストーブもつけっ放しだった。

奥さんは帰って来たのか?

なんだか気配が無い気がする。
帰って来てないのではないか・・

そっと見てみると奥さんの布団が丸く盛り上がっていた。

ああ、よかった。
帰って来てたんだ。

ほっとした。

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18:36 - comments(0)
コーチングを続けてきて
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 2年ほどコーチングを受けて来て感じるのは
「自分で気づけるようになっている」ということだ。

様々なコーチの方がブログでセッションの事例を紹介しているが、
そのレベルの「気づき」であれば、もう自分で気づける。
というか「気づけるように持って行ける」。

例えば奥さんに相談するとか、母親と話すとか。
或いは空や山々や木々や花々、鳥たちなどから啓示を得たり。
或いは、ある朝ふと目覚めた時に分かるとか、
文章にしていて気がつくとか。

それで、そういうレベルを超えたもっと深くて大きな「気づき」も
ありそうな気がするのだが、それは45分間では出て来そうにない。
・・出て来そうになくても話せば良さそうなものだが、
そして話すと何かしらのヒントが掴めたりもするのだが、
(これは時間が掛かりそうだ)と感じたことは
セッションのテーマにするのを避けようとする傾向もある。
これは今気づいたことだ。
ずっと自分ではそれを分かっていたのに、はっきりと言葉では認識しないようにして来た。

これは長く続けた弊害と言っては言い過ぎかも知れないが、
「45分で収まりそうな話題」を選ぼうとする傾向はある。
いつも1時間以上かかるのを、気にしている。

そして、可笑しいのが
「もう自分で気づける状態にあることを、セッションのテーマにして
その時に気づこうと思って、それまで気づかないように取っておく」
というところもあるのだ。笑

変に予定調和的になって来た・・

というワケで、最近はセッションのテーマを決めるのが苦しい。
「自分で気づけるもの」と「セッションではテーマにしたくないもの」ばかりに感じるからだ。

ここのところ「アナタはコーチングが無くても大丈夫」というメッセージを何度か受け取った。
以前からぼくを知る人たちにはこれまでも言われ続けてきたことなのだが、
最近はコーチングが身近にある人々、
堀口さんをよく知る人々からのメッセージなのが興味深い。

では、コーチングは終わりにするのか?
それも確かに選択肢の一つだと思う。
だが、「コーチングは何かに気づく為のものだ」という前提自体が
狭いんじゃないかという気もしている。

セッションの日の朝、(10時からコーチングだ)と思った瞬間に
さーっと気分が晴れて楽しげな心持ちになる、
この現象が捨て難く感じている。

またセッション後は必ず「何でも出来る。オレは無敵。不可能など無い」ってな気分になっていて、
その気分をもっと活かしてみたいという思いもある。
セッション後に他の用事がすぐ控えているということが多く、
日常に戻るとあの「無敵な気持ち」も徐々に消えて行くのだ。
それでも、その繰り返しで随分と自分自身に確かなものは感じているのだが、
セッション直後の時間を目いっぱい活用するようにしたら
そこでダッシュ出来るかも知れない。

これらの「気分の確実な変化」は、自分一人ではあまり簡単に出来そうに思えない、今のところは。

なので現在のぼくは「気づくこと」よりも「気分作用」にコーチングの価値をより感じている。
それがコーチングの本質かどうかは分からない。
ま、そもそもコーチングの本質ってまだ定まってない気がするし
この「気分作用」は堀口さんだけの特質かも知れない。
(他の方とのセッションでは、ここまでの気分変化は見られない。ただ長期継続しているのが
堀口さんだけなので、はっきりとは分からない、他の方でも1年とか続けたらそうなるかも知れない)

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ひとみずむ執筆に苦悶している中で、以上のことに気がついた。
出来たら「ひとみずむ」に書きたいのだが、「ひとみずむ」は卒論ではない。
それは「頭の中」を書く場所ではなく「起こったこと」を書く場所で有りたいのだ、個人的に。

ぼくがひとみずむ書くのに苦労しているのは
「起こったこと」を書きたいのに
「これから起こることを書きたい」と思ってしまうからかも知れない。

なにこの矛盾!!

手放したくなくて、貧乏臭くしがみついていることがあるなぁ・・

それは前回のセッションで気づいたのだが、
ぼくの中の「上質嗜好」みたいなもの。
まだまるまる分かってはいないが、「志向」より「嗜好」が似合う。
その根には、何かあるんだろう。

だけど、別にこのままだっていいんだぜ?

何も困ってないもの、ひとみずむ執筆以外は。笑

あまり自分の足元ばかり気にするのは止めている。

それもコーチングを続けた効果かも知れない。

「水溜りに気づきましょう」ってよりも
気にせずバシャバシャ水を跳ね上げながら歩きたい。

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