
ツイッターの有名人に「団鬼六」先生の名を見つけて、フォローしてみた。
団先生の作品は読んだことが無い。
しかしアイコンの写真がカッコいいと思った。
しばらくして、団先生からメッセージが届いた。
「これからもよろしゅうに・・」というコメントと画像のリンクが。
SMで名の響く方だ。
ひょっとして、ああいう写真か?
慌てて開いてみた。
そこにはサインがあった。
一期は夢よ
ただ狂え
わけも分からないままぐっと来た。
ただ狂え。
痺れる。
もう、ぼくの先生だということにした。
なかなか年上の人で言動に注目している人と出会わない。
糸井重里さんくらいなものか。
探せばいくらでもいらっしゃる筈だが、どうも出会わない。
まだツイッターに慣れていないのか、
多くの人のお喋りに少し煩わしさを感じている。
画面を閉じるとほっとする。
そんな状況にて
団先生の言葉は
ずん!
と来た。
かっこいいぜ!
一期とは、生まれてから死ぬまでを意味するようだ。
年下の方と会話すると、SとかMとか普通に口にするから驚く。
ぼくにとって、それは太陽の下では言えない言葉、女性の前では言ってはいけない言葉という
イメージがある。
自分がどっちかもよくわからない。
子供の頃、ネコや犬を虐めたことがある。
・・Sだろうか?
「まとも」とか「正常」とか「常識」とか呼ばれるものを徹底的に取り去った先に
あの世界はあるのだろう。
とすると、ぼくの進みたい方角とは一致しているかも知れない。
「狂え」とはそういうことだと感じている。

母から電話が来た。
「夕飯一緒にどう?」
これから「ひとみずむ」を書き直したいのだ。
返答に困った。
「あ、用事あるならいいよ、また今度にしよう」
モヤモヤしたものが湧き上がってきた・・が、そのまま電話を切った。
奥さんが横になっている。
あまり調子良くなさそうだ。
彼女は夕方からダンスのレッスンで都心までいくのだ。
車で送り迎えしてやった方がいい。
しかし黙っていた。
時間が少しでも欲しい。
奥さんは5時過ぎに出掛けて行った。
玄関で見送りながら、「今晩は捗らないだろう」と感じた。
そして、そうなった。
一行も書けない。
「冒頭の話は壮大なだけに、何かその受けがあったらいいですね」
そうアドバイスを頂いていた。
しかし、それが思いつかない。
読み返してみた。
色褪せて感じる。
やはりこのままではダメだ。
自分が良い状態じゃないのが分かった。
掃除でもしたら変わるかな?と思ったが、それも実行に移せない。
10時過ぎには眠くなって来た。
こういうときは寝ちまうに限る。
それだけは分かった。笑
布団を敷いて眠った。
夜中の2時半頃、目が覚めた。
隣りに奥さんが寝ている。
背中をさすった。
これが日課のようになっている。
「さする人」と「さすって貰う人」の関係のままだと、何も変わらないだろう。
それは分かっていた。
さすっている自分も、どこか癒されている。
それも分かるようになっていた。
じゃあ、この行為が
「100%、自分が相手にして貰っている行為」だと捉えたら?
さすっている自分の方が、「何かを与えられている立場」だと見ることができたら・・???
自分が完璧にそう思えたら、どうなるだろう???
そう考えた次の瞬間に、ひとみずむをどう描くかが見えた。
やっと出てきた。
一気に視界が開けた。
やはり寝たのが良かった。
そして奥さんの背中をさすったのが良かった。
幾ら時間を欲しがっても、何にもならない。
土曜日のセミナーで教わったことを思い出した。
「潜在意識が大きくなるようにしてあげましょう。意識を消した方が、
潜在意識が動き易くなるのです」
ああ、教わってたじゃないか・・前の日に・・
母と食事して他愛も無い話をした方が、アイディアは出た。
奥さんを目黒まで送り迎えした方が、アイディアは出た。
間違いない。
そう感じる自分もいたから、モヤモヤしたのだろう。
今朝、ふと気づいた。
母と奥さんは、
アイディアに詰まっているぼくを
その狭い世界から連れ出そうとしてくれたんだ。
そう気づいた。
そして、そのチャンスを逃したぼくは、
これから、そういうときは
どうすればいいのかがよく分かった。
つまり
母と奥さんの与えてくれたチャンスは、1回逃しても
次にまた大きな気づきをもたらしてくれるように仕組まれているものだった。
なぜぼくが二人に頭が上がらないのか、よく分かった。笑
これとそっくりな構図が、コーチングでも起きています。
ぜひ「ひとみずむ」をお読みください。
自分だけの視点で対象となるものの魅力を抽出して
人々に伝えることです。
それが大きな喜びともなります。
これは昨日参加したセミナーで出た答えです。
振り返れば、この結論へ至るような発言をセミナー中は繰り返していました。

「写真はお好きですか?」
「特に好きということはありません。
文字だけだとブログが寂しいと思って、写真を撮るようになりました。
実は写真をホメられてもさほど嬉しくはないのです。
だけど、そこに写っているものを褒められると嬉しいんです」

「幼少期から現在まで、嬉しい・楽しい・ワクワク・夢中などのキーワードで思い出すことを全て書いてください。それから一つだけ、その中から選んでください。
何を選びましたか?」
「いま書いているひとみずむです」
「それは何故でしょうか?」
「厳しい指摘とかを受けると嬉しくなるのです。それがとても気になっています。
堀口さんを応援したいですし、読む人と堀口さんが自分を介して繋がる感じがいいです」

厳しい意見よ、じゃんじゃん来い!
そう根っから思ったのは、人生で初めてかも知れません。
そのことが何となく気になっていました。
それが昨日のセミナーで自分の強みと重なったことで、ここに自分の道があるように感じます。
素晴らしいものを見つけてきて人に伝える。
それがぼくの「ひとみずむ」です。
セミナーでは潜在意識を扱いました。
曖昧なものを如何にも確証あるように言うことは一切なく、
今きちんと分かっていることが色々な方角から語られました。
そのためすんなりと聴くことが出来、
曖昧なイメージだった潜在意識の輪郭が見えて来たように感じています。
講師は小林真直さんでした。

どんなに素晴らしい教えでも、
それをペロッと飲み込んで消化して、
それで「排泄」までした方がいいだろうと考え中です。
そのまま体内に留めておく方が安らげる気がしますから、そうしたくなりますが・・
何かが滞留しているというのは、どうにも具合が悪いだろうという気がするのです。
と、考え中です。


日本中のどの地方を訪れても
女の子がカワイイことに驚く。
いつのまにこの地方の女の子はこれほど可愛くなったのだろうか。
東京より、ずっとカワイイじゃないか。
いつもそう思う。
そして東京へ戻ってくると思うことがある。
なんて東京の女の子は可愛いんだろう!
こうして「女の子はカワイイ!」というインフレは果てしなく続く。
これが老いると言うことだろうか。
だとしたら、なかなかいいかも知れない。